日本神話には、どうにも扱いにくい神様がいます。
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。泣き、暴れ、追放され、それでも最後には英雄になる。
この神様の物語がずっと語り継がれてきたのは、たぶん、私たちの中にも同じものがあるからだと思うのです。
須佐之男命とは、どんな神様か
伊邪那岐(いざなぎ)が身を清めたとき、鼻から生まれたと語られます。天照大御神、月読命と並ぶ三貴子(さんきし)のひとりです。
治めるよう命じられたのは、海原でした。
けれど須佐之男命は、そこを治めません。母のいる根の国へ行きたいと泣き続けます。山が枯れ、川と海が干上がるほど泣いた、と『古事記』は伝えます。
司るものは、嵐。荒ぶる力。そして、情の深さ。
追放される ― 力が壊す側に回るとき
姉である天照大御神に別れを告げに高天原へ上ったとき、須佐之男命はそこで乱暴を働きます。
田の畦を壊し、御殿を汚し、機織り場に皮を剥いだ馬を投げ入れた。その衝撃で機織りの女神が命を落とし、天照大御神は天岩戸に隠れてしまいます。
須佐之男命は、髭を切られ、爪を抜かれ、高天原を追放されました。
ここまでを読むと、ただの乱暴者に見えます。実際、そう読んでも間違いではありません。
物語が反転するのは、ここからです。
地上に降りて ― 同じ力が、守る側に回る
出雲の斐伊川(ひいかわ)のほとりに降り立った須佐之男命は、泣いている老夫婦と娘に出会います。
八俣遠呂智(やまたのおろち)という大蛇が、毎年ひとりずつ娘を呑んでいく。今年でついに最後のひとり、櫛名田比売(くしなだひめ)の番だという。
須佐之男命は、強い酒を八つの器に用意させます。大蛇は八つの頭でそれを飲み、酔って眠りました。そこを斬り伏せます。尾から出てきた剣が、のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。
そして櫛名田比売と結ばれ、出雲に宮を建てました。
このとき詠んだとされる歌が、日本最古の和歌と言われています。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
乱暴者だった神が、大切なものを囲うための垣を詠んでいるのです。
何が変わったのか ― 力ではなく、向き先
ここが、この神話のいちばん大事なところだと思います。
須佐之男命の力は、弱まっていません。八岐大蛇を斬り伏せるだけの荒々しさが、そのまま残っています。
変わったのは、その力がどこへ向いたかだけです。
高天原では、行き場のない激しさが周囲を壊しました。出雲では、同じ激しさが誰かを守りました。
感情の強さそのものは、良くも悪くもありません。
感情の激しさを、脳の側から見ると
少し脳のしくみの話をさせてください。
感情は「消す」ものではありません
強い感情が湧いたとき、それをなかったことにしようとすると、かえって長引くことが知られています。抑え込んだ感情は、身体の緊張として残りやすい。
一方で有効だとされているのが、認知的再評価と呼ばれる方法です。出来事そのものは変えられなくても、その意味づけを変える。
「この怒りは、私が理不尽だと感じている証拠だ」 「この苛立ちは、大事にしたいものがあるという合図だ」
こう捉え直すと、前頭前野が扁桃体の高ぶりを調整しやすくなる、と説明されます。感情を消すのではなく、扱える形に置き直すわけです。
須佐之男命が高天原でしたのは、感情を垂れ流すことでした。出雲でしたのは、その力を「守る」という目的に結びつけることでした。
同じ感情が、置き場所を得たのです。
「向ける先」があると、行動が変わる
もうひとつ。人の行動は、感情の強さよりも目的の有無に左右されやすいことが知られています。
行き場のないエネルギーは、いちばん近いものにぶつかります。多くの場合、それは自分自身か、身近な人です。
須佐之男命に必要だったのは、力を弱めることではなく、ぶつける相手ではなく守る相手を見つけることでした。
いま、あなたに置き換えると
感情が強いことを、欠点だと思わないでください。
怒りやすい、泣きやすい、思い入れが深すぎる。そう言われてきた方は、それを直そうとしてきたかもしれません。
けれど須佐之男命の物語が伝えているのは、削るのではなく、向きを変えるという道です。
その激しさは、あなたが何かを本気で大切にしている証拠です。ただ、いまはまだ、向ける先が見つかっていないだけかもしれません。
嵐は、壊すために来るのではありません。動かないままだった水を動かすためにやってきます。
この神様が現れたとき
神託引きで須佐之男命が出たなら、それはあなたの中の激しさが動きはじめているという報せです。
いま荒れている状況があるなら、それは終わりではなく、淀んでいたものが流れはじめた合図かもしれません。
抑え込もうとせず、そのエネルギーが向かいたがっている先を、静かに探してみてください。
須佐之男命とゆかりの深い場所
- 八重垣神社/島根県松江市 ― 須佐之男命と櫛名田比売をお祀りする、縁結びで知られる社
- 須佐神社/島根県出雲市 ― 須佐之男命の御魂が鎮まると伝わる地
- 八坂神社/京都市 ― 祇園祭で知られ、須佐之男命を主祭神とします
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