日本神話でいちばん哀しい場面を挙げるなら、私はここを選びます。
黄泉比良坂(よもつひらさか)。生者の世界と死者の世界の境目に、大きな岩が置かれる場面です。
かつて共に国を生んだ二柱が、その岩を挟んで最後の言葉を交わします。
伊邪那美とは、どんな神様か
伊邪那美(いざなみ)は、伊邪那岐とともに国を生んだ女神です。名は「誘(いざな)う女」を意味するといわれます。
大八島(おおやしま)と呼ばれる島々を生み、山の神、海の神、風の神と、次々に神々を生みました。
司るものは、生と死。受容。そして、変容。
火を産んで、命を落とす
多くの神を生んだ末に、伊邪那美は火の神・火之迦具土(ひのかぐつち)を産みます。
このとき、身を焼かれて病に伏し、命を落としました。
苦しむ伊邪那美の吐瀉物や排泄物からも神々が生まれた、と『古事記』は記します。最期の瞬間まで、この女神は生み続けているのです。
伊邪那岐は嘆き、生まれたばかりの火之迦具土を斬りました。その血と亡骸からも、また神々が生まれます。
生と死が、切り離せないものとして描かれています。
黄泉の国へ
伊邪那岐は、妻を連れ戻すために黄泉の国へ向かいます。
御殿の戸口で伊邪那美は言いました。
「もっと早く来てくださればよかった。私はもう黄泉の食べ物を口にしてしまいました。けれど、あなたが迎えに来てくださったのですから、戻れるよう黄泉の神と相談してみます。その間、決して私を見ないでください。」
伊邪那岐は待ちます。けれど、待ちきれませんでした。
櫛の歯を折って火を灯し、御殿の中をのぞきます。
そこにいたのは、変わり果てた姿の伊邪那美でした。
追われ、岩で塞がれる
伊邪那岐は逃げます。伊邪那美は「よくも恥をかかせた」と黄泉の軍勢を差し向けました。
髪飾りを投げれば葡萄が実り、櫛を投げれば筍が生える。追手がそれを食べている間に走る。最後には桃の実を投げて追い払いました。
ついに伊邪那美自身が追ってきます。伊邪那岐は、黄泉比良坂の坂本に千引の岩(ちびきのいわ)を据えて、道を塞ぎました。
岩を挟んで、二柱は別れの言葉を交わします。
伊邪那美は言いました。「あなたの国の人を、一日に千人殺しましょう」 伊邪那岐は答えました。「ならば私は、一日に千五百の産屋を建てよう」
こうして、人は死に、それより多く生まれるようになった、と語られます。
別れの言葉が、そのまま世界の仕組みになったのです。
「見ないで」の意味
この場面で、私がずっと考えてきたことがあります。
伊邪那美が「見ないで」と言ったのは、恥ずかしかったからでしょうか。
それもあるでしょう。けれど、もうひとつの読み方ができます。
まだ途中だったからです。
戻れるかどうか、これから相談する。まだ何も決まっていない。その途中の姿を見られてしまった。
私たちにも、覚えのあることではないでしょうか。整理がつく前に踏み込まれると、決まりかけていたものが壊れます。
「振り返らない」を、脳の側から見ると
反芻は、考えることとは違います
つらい出来事のあと、同じ場面を何度も思い返してしまうことがあります。
「あのとき、ああ言っていれば」 「なぜ気づけなかったのか」
これは反芻思考と呼ばれ、問題解決には結びつきにくいことが知られています。むしろ気分の落ち込みを長引かせやすい。
考えているつもりでも、実際には同じ場面を繰り返し再生しているだけ、ということが起こります。
伊邪那岐が振り返らずにいられなかったのは、まさにこれです。そして、振り返ったことで、二柱は永遠に分かたれました。
悲しむことと、反芻は別ものです
ここは丁寧に書いておきたいところです。
**悲しむこと自体は、必要な過程です。**喪失のあとに深く悲しむのは、正常な反応であって、乗り越えるべき症状ではありません。
見分ける手がかりのひとつは、時間とともに少しずつ形を変えていくかです。
悲しみは、波のように来ては引き、少しずつ間隔が空いていきます。反芻は、同じ問いを同じ形で繰り返します。「なぜ」「もし」に留まり続けている感覚があるなら、そこは休ませてよいところかもしれません。
岩を置くことは、拒絶ではありません
伊邪那岐が置いた千引の岩は、伊邪那美を憎んで置いたものではありませんでした。
もう戻れないと認めたしるしです。
そしてその境目ができたからこそ、生と死が、それぞれの領分を持つようになりました。
区切りをつけることは、冷たさではありません。それぞれの場所を確かにすることです。
いま、あなたに置き換えると
終わりを終わりとして認めたとき、次のいのちが動きだします。
まだ終わっていないことにしておきたい気持ちは、よく分かります。認めてしまえば、本当に終わってしまうから。
けれど、境目のない場所では、どちらの世界も曖昧なままです。
そして、振り返る自分を責めないでください。
伊邪那岐も振り返りました。神でさえそうなのです。大事なのは振り返らないことではなく、振り返ったあとに、もう一度前を向けることです。
伊邪那岐は逃げ、岩を置き、そして身を清めました。そこから新しい神々が生まれています。
この神様が現れたとき
神託引きで伊邪那美が出たなら、それは手放してよいという報せです。
失うことは、終わりではありません。この女神は、最期の瞬間まで生み続けました。死そのものからも、神が生まれています。
いま何かが終わろうとしているなら、それを見送ってください。次のいのちは、そこから動きはじめます。
伊邪那美とゆかりの深い場所
- 揖夜神社/島根県松江市 ― 伊邪那美をお祀りし、近くに黄泉比良坂の伝承地があります
- 花窟神社/三重県熊野市 ― 伊邪那美の葬られた地と伝わる、日本最古の神社のひとつ
- 多賀大社/滋賀県多賀町 ― 伊邪那岐とともにお祀りされています
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※ 大切な方を亡くされた直後など、悲しみが深いときには無理に整理しようとしないでください。時間が必要な時期があります。眠れない、食べられないといった状態が続く場合は、専門の窓口にご相談ください。