世界から光が消えたとき、神々が選んだ方法は、意外なものでした。
説得ではありません。力ずくでもありません。
祭りを起こしたのです。
その中心で舞ったのが、天宇受賣(あめのうずめ)でした。
天宇受賣とは、どんな神様か
芸能の女神です。神楽(かぐら)の起源とされ、踊り手や役者の守り神として信仰されてきました。
猿女君(さるめのきみ)という一族の祖ともされます。のちに天孫降臨のとき、道の途中に立ちはだかる猿田彦と対峙し、結ばれる神様でもあります。
司るものは、歓喜。解放。そして、魅せること。
岩戸の前で、何が起きたか
天照大御神が天岩戸に隠れ、世界は闇に沈みました。
神々は天の安の河原に集まり、思金神が策を立てます。長鳴鳥を鳴かせ、鏡と勾玉を用意し、榊を立てて祭りの支度を整えました。
そして、天宇受賣が舞います。
桶を伏せて踏み鳴らし、蔓を襷にかけ、笹の葉を手に持って。『古事記』は、神懸かりして胸をあらわにし、裳の紐を陰部まで押し下げたと、はっきり書いています。
その姿を見て、八百万の神々がどっと笑いました。高天原が鳴り響くほどに。
岩戸の内側で、天照大御神は不思議に思います。
「私が隠れて世の中は暗いはずなのに、なぜ皆が笑っているのか」
戸をわずかに開けて、外をのぞきました。
なぜ、笑いだったのか
ここが、この神話でいちばん考えさせられるところです。
誰ひとり、「出てきてください」と言っていません。
正論も、説得も、叱責もありませんでした。あったのは、外が楽しそうだという気配だけです。
そして扉は、内側から開きました。
天照大御神を外に出したのは、他人の言葉ではなく、本人の「なぜだろう」という気持ちでした。
「取り繕うのをやめる」を、脳の側から見ると
恐れているとき、正論は届きません
強いストレスや恐れを感じているとき、脳では扁桃体が警報を鳴らしています。この状態では、論理を受け取る余裕が失われることが知られています。
だから「そんなことではいけない」と言われても、届かないのです。言葉が足りないのではなく、受け取る回路が別のものに占領されているからです。
一方で、笑い声や人の賑わいは、社会的なつながりに反応する回路に働きかけます。安心と結びつくこの回路が動きはじめると、警報のほうが少しずつ静まっていきます。
神々が理屈ではなく祭りを選んだのは、理にかなっていたのです。
笑いには、身体的な働きもあります
声を出して笑うと、呼吸が深くなり、身体の緊張がゆるみます。
心のありようが身体を変えるだけでなく、身体のありようが心を変える方向も、確かに存在します。姿勢や表情が気分に影響することは、広く知られています。
天宇受賣は、まず身体を動かしました。踏み鳴らし、舞い、笑わせた。順番として、これは正しかったのだと思います。
「うまくやろう」は、たいてい邪魔になります
もうひとつ。人前で何かをするとき、うまく見せようとするほど固くなるという経験は、誰にでもあると思います。
評価されることを意識すると、注意が自分の内側に向きます。そうすると動きは硬くなり、本来の力が出にくくなる。
天宇受賣は「神懸かりして」舞いました。つまり、我を忘れていたのです。
見せるための舞ではなく、湧いてきたものを出しただけの舞。だから、あれほど人を動かしたのだと思います。
いま、あなたに置き換えると
取り繕うのをやめると、世界のほうが開いていきます。
きちんとした自分でいなければ、と思っている方は多いと思います。それは真面目さの表れで、悪いことではありません。
けれど、整った自分でいようとするほど、人は近づいてこなくなることがあります。隙のない人には、声をかけづらいからです。
天宇受賣が神々を笑わせたのは、完璧だったからではありません。なりふり構わなかったからです。
そして、誰かを外に出したいときも同じです。
大切な人が閉じこもっているとき、正しい言葉を探してしまいます。けれど届くのは、たいてい正しさではありません。
扉の前で、楽しそうにしていること。 それが、いちばん強い誘い方かもしれません。
この神様が現れたとき
神託引きで天宇受賣が出たなら、それはもう繕わなくていいという報せです。
隠していること、見せないようにしていること。それを開いたとき、事態が動きはじめます。
恥ずかしさは、扉の鍵かもしれません。
天宇受賣とゆかりの深い場所
- 椿大神社 別宮 椿岸神社/三重県鈴鹿市 ― 天宇受賣をお祀りし、芸能の神として信仰されています
- 天岩戸神社/宮崎県高千穂町 ― 岩戸隠れと天鈿女命の舞の舞台と伝わります
- 佐瑠女神社/三重県伊勢市 ― 猿田彦神社の境内に鎮まり、芸能上達を願う人が訪れます
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