富士山に祀られる女神をご存じでしょうか。
木花之佐久夜比売(このはなのさくやびめ)。桜の花のように美しいと語られる姫です。
そして、人の命に限りがある理由を背負った神様でもあります。
木花之佐久夜比売とは、どんな神様か
山の神・大山津見(おおやまつみ)の娘です。姉に石長比売(いわながひめ)がいます。
「木花」は桜を指すとされ、「佐久夜」は咲くことに通じます。咲き誇る花そのものを名に持つ女神です。
富士山本宮浅間大社をはじめ、全国の浅間神社に祀られています。
司るものは、華。刹那。そして、情熱。
姉とともに嫁いだ、その結末
天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降りたとき、笠沙の岬でこの姫に出会い、心を奪われます。
父の大山津見は喜び、姉の石長比売とともに嫁がせました。
けれど瓊瓊杵尊は、姉を送り返してしまいます。美しくないという理由でした。
これを聞いた大山津見は言います。
石長比売を添えたのは、天孫の命が岩のように永く揺るがぬように。木花之佐久夜比売を添えたのは、木の花が咲くように栄えるように。
姉を返したのだから、その命は木の花のように儚くなるだろう。
こうして、天孫の子孫である人の命には、限りができたと語られます。
美しさを選んだ代わりに、永遠を失った。日本神話でも、とりわけ苦い場面です。
炎の中で子を産む
一夜を共にしただけで身ごもった姫に、瓊瓊杵尊は疑いを口にします。本当に自分の子なのか、と。
姫は答えました。
もし天孫の子でないなら、無事には生まれないでしょう。もし本当に天孫の子であるなら、何があっても無事に生まれるはずです。
そう言って、産屋に入り、戸を土で塗り塞ぎ、自ら火を放ちました。
燃えさかる炎の中で、三柱の御子が生まれます。火照命(ほでり)、火須勢理命(ほすせり)、火遠理命(ほおり)。
疑いは、晴れました。
この神話が伝えていること
私はこの二つの話を、いつも並べて読みます。
永遠を失った女神が、炎の中で命を生んだ。
石長比売を返したことで、人の命は儚くなりました。けれどその同じ女神が、燃えさかる火の中で、次の命を確かに世に出しています。
限りがあることと、生まれることは、切り離せない。
桜が美しいのは、散るからです。散らない花を、人はあれほど見上げません。
「限りがあること」を、脳の側から見ると
終わりが見えると、価値の感じ方が変わります
同じものでも、残り時間が限られていると分かった瞬間に、感じ方が変わることが知られています。
いつでもできると思っているうちは動かないのに、期限が示されると急に動き出す。これは怠けているのではなく、人の判断が、時間の枠組みに強く影響されるからです。
「いつか」は、たいてい来ません。それは意志の問題ではなく、期限のない目標が行動に結びつきにくいという、仕組みの話です。
短い期間のほうが、深く残ります
もうひとつ。強い感情をともなう出来事は、記憶に残りやすいことが知られています。
長く続いた平坦な時間より、短くても濃い時間のほうが、あとから鮮明に思い出せる。旅行の数日を何年も覚えているのに、同じ長さの日常を思い出せないのは、そのためです。
長さと、豊かさは、別のものです。
ただし、これは焦らせる話ではありません
ここは書き添えておきたいところです。
「時間は限られている」という言葉は、人を追い立てるためにも使われます。けれどこの神話が言っているのは、そういうことではないと思っています。
限りがあるからこそ、いま咲くことを惜しまなくていい。
急げ、ではありません。惜しむな、です。
いま、あなたに置き換えると
短いから美しい。いま咲くことを惜しまないでください。
続くかどうか分からないから始めない、という選び方があります。それも慎重さで、悪いことではありません。
けれど、続かないと分かっていても、やる価値のあることはあります。
一夜の出会いで身ごもった姫は、疑われても言い訳をしませんでした。炎に入って証明しました。中途半端なことをしなかった。
いま迷っていることがあるなら、続くかどうかではなく、いま咲きたいかどうかで決めてよいのかもしれません。
この神様が現れたとき
神託引きで木花之佐久夜比売が出たなら、それはいまが盛りだという報せです。
ためらっている時間は、そのまま散っていきます。
咲いてください。短くても構いません。
木花之佐久夜比売とゆかりの深い場所
- 富士山本宮浅間大社/静岡県富士宮市 ― 全国の浅間神社の総本宮。富士山を御神体とします
- 新屋山神社/山梨県富士吉田市 ― 富士の麓に鎮まり、大山津見とともにお祀りされています
- 子安神社/東京都八王子市 ― 安産の神として、炎の中で子を産んだ神話にちなみます
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