生まれてきただけで、誰かを傷つけてしまう。
そんなことがあるのだろうか、と思われるかもしれません。
日本神話には、それをそのまま背負った神様がいます。
火之迦具土とは、どんな神様か
火之迦具土(ひのかぐつち)。伊邪那岐と伊邪那美のあいだに生まれた、火の神です。
迦具土(かぐつち)の「カグ」は、輝くこと。「ツチ」は、霊威を持つものを指すとされます。輝く力そのものを名に持つ神様です。
司るものは、破壊。情熱。そして、生成。
秋葉山本宮秋葉神社や愛宕神社に祀られ、火伏せ――火を鎮める神として、長く信仰されてきました。
火を起こす神が、火を防ぐ神でもある。この二重性が、この神様の本質だと思います。
生まれた瞬間に、母を焼いた
伊邪那美は、多くの島と神々を生みました。その最後に生まれたのが、火之迦具土です。
火の神を産んだことで、伊邪那美は身を焼かれ、病に伏し、命を落とします。
苦しむ伊邪那美の吐瀉物や排泄物からも、神々が生まれたと『古事記』は記します。最期の瞬間まで、この女神は生み続けました。
伊邪那岐は嘆きます。妻の枕元と足元を這い回って泣き、その涙からも神が生まれました。
そして、十拳剣を抜き、生まれたばかりの我が子の首を斬りました。
斬られた身体から、神々が生まれる
ここからが、この神話の異様なところです。
剣についた血が岩に飛び散り、そこから神が生まれます。**建御雷(たけみかづち)**もそのひとりです。のちに国譲りを成し遂げる、雷と剣の神。
そして火之迦具土の亡骸からも、次々に神が生まれました。
頭から正鹿山津見(まさかやまつみ)。胸から淤縢山津見(おどやまつみ)。腹から、陰部から、左手から、右手から、左足から、右足から。合わせて八柱の山の神々です。
斬られた身体が、そのまま山々になった。
殺された神から、国土が生まれています。
破壊と生成は、別のできごとではない
この神話が伝えているのは、たぶんそこです。
火之迦具土は、母を殺しました。父に斬られました。物語としては、悲劇です。
けれどその一連の出来事から生まれたものを数えると、山の神々、雷の神、剣の神――日本神話の骨格をなす神々が並びます。
もし火の神が生まれなければ、伊邪那美は死ななかったかもしれません。けれど、山も雷も剣も、生まれなかったのです。
失われたことと、生まれたことは、同じ一本の出来事でした。
「燃えたあと」を、脳の側から見ると
つらい出来事が、そのまま成長になるわけではありません
まず、はっきりさせておきたいことがあります。
「苦しんだぶんだけ強くなる」という言い方は、必ずしも正しくありません。
つらい経験をすれば自動的に成長する、というものではないのです。何もせずに時間だけが過ぎることも、傷が残ったままになることも、当然あります。
けれど、逆境のあとに人生観や優先順位が変わり、それを本人が「前より大切なものが見えた」と感じる場合があることも知られています。心理学では心的外傷後成長と呼ばれます。
大事なのは、苦しみそのものが与えてくれるのではないということです。
分かれ目は「語り直せたかどうか」
では、何が分かれ目になるのか。
ひとつ挙げられているのが、その出来事を自分の物語として語り直せたかどうかです。
「あれは意味のない不幸だった」で止まっている状態と、「あれがあって、いまここにいる」に変わった状態。同じ出来事でも、位置づけが変わると、心の重さが変わります。
火之迦具土の神話は、まさにその語り直しの形をしています。
**「母を焼いた神」で終わらせず、「山々の生まれた場所」**として語り継いだ。誰かがそう語り直したから、この神様は火伏せの神になれたのだと思います。
渦中では、できません
ただし、これは急いではいけない部分です。
燃えている最中に「この火にも意味がある」と言われても、届きません。むしろ傷つきます。
跡地になるまでは、時間がかかります。 それを待てるかどうかが、たぶんいちばん難しいところです。
いま、あなたに置き換えると
燃やした跡地からしか、生えないものがあります。
失ったものは、戻りません。それは事実です。慰めで埋められるものでもありません。
けれど、その場所が更地になったからこそ蒔ける種というものが、確かにあります。
以前と同じものは生えません。山が生えるのです。
そして、いま燃えている最中の方へ。
意味を探さなくて構いません。いまは、ただ焼けているだけの時間です。跡地になるのは、火が収まってからです。
この神様が現れたとき
神託引きで火之迦具土が出たなら、それは何かが終わろうとしているという報せです。
自分で火をつけたのかもしれないし、そうでないかもしれません。どちらでも同じです。
燃え尽きたあとに、何が生えてくるか。それはまだ、誰にも分かりません。
火之迦具土とゆかりの深い場所
- 秋葉山本宮秋葉神社/静岡県浜松市 ― 全国の秋葉神社の総本宮。火防の神として知られます
- 愛宕神社/京都市右京区 ― 全国九百社の愛宕神社の総本宮。火伏せの信仰を集めます
- 花窟神社/三重県熊野市 ― 伊邪那美とともに、火之迦具土も祀られています
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