神託の言葉

もとの針を返せと言った神|火照命と、握りしめた手のこと

内乃燈

内乃燈(うちのあかり)/占い師 ウチノアカリ 50代のとき、職場のパワハラ・モラハラから鬱になり、生きる希望を無くしました。 そこから、心と脳のしくみを学び直しています。 脳科学と魂の声が交差する場所で、生きづらさを抱える方へ言葉を届けています。 神託のカードでは、当てるためではなく、 あなたが自分の声を思い出すための一枚をお渡ししています。

前回、失くした釣り針を探して海へ潜った弟の話を書きました。

今回は、その針を返せと言い続けた兄の話です。

日本神話は、たいてい勝ったほうの側から語られます。けれど負けた側にも、言い分はあります。


火照命とは、どんな神様か

火照命(ほでりのみこと)。海幸彦という呼び名で知られています。

瓊瓊杵尊と木花之佐久夜比売の子。燃えさかる産屋の中で生まれた三兄弟の長男です。

弟が火遠理命(山幸彦)。

司るものは、海の幸。誇り。そして、執着。

隼人(はやと)の祖とされ、隼人舞はこの神が溺れたときの様子を写したものだと伝わります。


交換を、渋っていた

物語のはじまりを、もう一度見てみます。

兄は海で魚を釣り、弟は山で獣を狩っていました。それぞれの領分で、うまくやっていたのです。

言い出したのは、弟でした。「互いの道具を取り替えてみませんか。」

『古事記』はこう記します。兄は**三度も断りました。**それでも弟が願うので、ついに折れた。

気が進まなかったのです。

そして案の定、弟は一匹も釣れず、そのうえ大切な釣り針を海に落としました。


千本では、だめだった

弟は自分の十拳剣を潰して、五百本の釣り針を作って差し出します。

兄は受け取りません。

千本にしても、受け取りません。

「もとの釣り針でなければならない。」

この一点を、譲りませんでした。

外から見れば、頑なです。千本もらえば十分ではないか、と。

けれど――気の進まない交換を頼まれて折れた側からすると、話が違います。

譲ったのは自分でした。そして、その結果として大事なものを失った。代わりの品で片づけられるなら、最初から断れなかったことになります。


潮に、溺れた

弟は海神の宮で三年を過ごし、針とともに潮満玉と潮乾玉を持って戻ります。

海神に教えられた通り、呪いの言葉を唱えて後ろ手に針を渡しました。

その後、兄は次第に貧しくなり、怒って攻めてきます。弟は潮満玉で潮を満たし、兄を溺れさせました。

苦しんで詫びる兄を、潮乾玉で助けます。

そして兄は誓いました。「今後は昼夜、あなたの守護人としてお仕えします。」


この物語の、もうひとつの読み方

火照命は、しばしば「強欲な兄」として語られます。

けれど私は、少し違う読み方をしています。

この神様が失ったのは、釣り針ではありませんでした。

三度断ったのに押し切られた。譲ったのに損をした。それでも「気にするな」と言えというのは、酷な話です。

彼が握りしめていたのは針そのものではなく、「あのとき断ればよかった」という思いだったのではないでしょうか。


「手放せない」を、脳の側から見ると

不公平は、損より強く効きます

自分が損をしたとき、その損の大きさより「不公平だ」という感覚のほうが強く働くことがあります。

たとえ差し出された代償が十分でも、筋が通っていないと感じると受け取れない。

火照命が千本の針を断ったのは、計算が合わなかったからではありません。納得が合わなかったからです。

怒りには、正しさが含まれています

理不尽に対して怒るのは、正常な反応です。怒り自体は、悪いものではありません。

問題は、それが長く続いたときです。

繰り返し思い返す状態が続くと、気分の落ち込みが長引きやすいことが知られています。考えているつもりで、同じ場面を再生し続けている状態です。

火照命は、弟が三年いなくなっているあいだ、ずっと待っていました。その三年で、何が育ったでしょうか。

受け取ることは、負けを認めることではありません

そして、いちばん難しいところです。

代償を受け取ると、「もう終わったこと」になってしまう気がします。だから受け取れない。

けれど、受け取らずにいるあいだも、時間は過ぎていきます。握っている手は、他のものを持てません。

弟が海から持ち帰ったのは、針と、珠と、妻でした。兄が手にしていたのは、正しさだけでした。


いま、あなたに置き換えると

握りしめた手では、次の恵みを受け取れません。

いま「あのとき、こうされた」と繰り返し思い返していることがあるなら。

あなたが正しくないという話ではありません。 たぶん、あなたは正しい。三度断ったのに押し切られたのですから。

けれど――正しさを持ち続けることと、あなたが良くなることは、別のことです。

そして、断りたいときは断ってください。

三度断って、四度目に折れたことが、この物語のすべての始まりでした。気が進まないなら、四度目も断っていいのです。


この神様が現れたとき

神託引きで火照命が出たなら、それは手を開くときという報せです。

握っているものを見てください。それは本当に、まだ必要なものでしょうか。

手放すことは、許すことではありません。あなたが次へ進むことです。


火照命とゆかりの深い場所

  • 潮嶽神社/宮崎県日南市 ― 全国で唯一、火照命を主祭神とする神社と伝わります
  • 鹿児島神宮/鹿児島県霧島市 ― 弟の火遠理命とともに、隼人の地に鎮まります
  • 青島神社/宮崎市 ― 海幸山幸の物語の舞台とされる地です

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