もてなしたのに、殺されました。
読むたびに理不尽さに息が詰まる神話です。
けれど――その死から、私たちが食べているものが生まれました。
大宜都比売とは、どんな神様か
大宜都比売(おおげつひめ)。名の「オオゲツ」は、大いなる食物を意味します。
伊邪那岐と伊邪那美の国生みのとき、阿波国(現在の徳島県)の別名としても記されています。土地そのものと結びついた神様です。
司るものは、糧。与えること。そして、恵み。
もてなした
高天原を追放された須佐之男命が、地上をさまよっていたときのこと。
食べ物を求めて、大宜都比売のもとを訪ねます。
彼女は快く応じました。
鼻から、口から、尻から――さまざまなものを取り出し、調理して、美しく盛りつけて差し出したのです。
須佐之男命は、その様子を覗き見していました。
そして、穢れたものを食べさせようとしていると思い、彼女を斬り殺しました。
亡骸から
殺された大宜都比売の身体から、次々にものが生まれます。
頭から、蚕。
目から、稲。
耳から、粟。
鼻から、小豆。
陰部から、麦。
尻から、大豆。
神産巣日御祖命(かむむすひみおやのみこと)がこれらを取り、種としました。
日本人が食べてきた五穀と、絹が、この身体から出ています。
誤解だったのか
この場面は、しばしば「須佐之男命の誤解」として語られます。
けれど神話研究では、別の読み方もされています。
食物の神が身体から食物を出すのは、当時の観念では自然なことだったという見方です。穢れではなく、神としての正しい振る舞いだった。
そして、殺された身体から作物が生まれるという筋書きは、日本だけのものではありません。世界各地の農耕文化に、よく似た神話が残っています。
種を土に埋める。土の下で、種は形を失う。そこから芽が出る。
農耕を知っている人々にとって、死と実りが繋がっていることは、当たり前の経験だったのかもしれません。
「差し出したもの」を、脳の側から見ると
与えたものは、そのままの形では返りません
誰かに何かをしたとき、同じ相手から同じ形で返ってくることは、実はあまりありません。
助けたのに感謝されない。尽くしたのに報われない。そう感じることは、たくさんあります。
けれど、人の助け合いは一対一の交換だけで成り立っているわけではありません。 誰かに渡したものが、まったく別のところから、別の形で戻ってくることがあります。
**大宜都比売が差し出した食事は、須佐之男命には届きませんでした。**代わりに、その後のすべての人に届きました。
誤解されることは、あります
そしてもうひとつ。
私たちは、自分の行動が正しく伝わることを前提にしがちです。けれど、伝わり方は相手の側で決まります。
同じ振る舞いが、好意にも悪意にも見える。相手が何を予期しているかで、解釈は変わります。
善意が誤解されることは、あなたの落ち度ではありません。
それでも、無駄にはなりません
大宜都比売は、報われませんでした。斬られて終わりです。
けれど種は残りました。
差し出したことそのものが消えるわけではない。誰にどう受け取られたかとは別に、出したという事実は残ります。
いま、あなたに置き換えると
差し出したものが、かたちを変えて実ります。
いま報われないと感じていることがあるなら。
**返ってくる相手も、形も、時期も、あなたには選べません。**けれど、出したものが消えるわけではありません。
そして、誤解されたときは。
説明できるなら、してください。けれど、どうしても伝わらない相手はいます。
そのとき、自分の側に理由を探しすぎないでください。覗き見て判断したのは、相手のほうでした。
この神様が現れたとき
神託引きで大宜都比売が出たなら、それは与えたものが形を変えているという報せです。
いま手元に何も残っていなくても、土の下で動いています。
種は、形を失ってから芽を出します。
大宜都比売とゆかりの深い場所
- 上一宮大粟神社/徳島県神山町 ― 大宜都比売を主祭神とし、阿波国の元となった社と伝わります
- 一宮神社/徳島市 ― 阿波国一宮のひとつとして、大宜都比売を祀ります
- 保食神社/各地 ― 同じ食物神である保食神を祀る社が全国にあります
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